旅をたどる4
存続するあやしさの断片 – 香港 九龍 深水埗(Sham Shui Po)
九龍半島の北にある深水埗には、少し前の香港のどこにでもあった不思議な空気が、まだ少しだけ残っているような気がします。
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旅をたどる4
突然、人々の怒鳴り声をかき消すような轟音がとどろき、ビルとビルの隙間から飛行機の巨大な腹が現れた。
・・・ 星野博美『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)
九龍(Kowloom)半島の南の先端から北にまっすぐ延びる彌敦道(Nathan Road)が、左斜めに折れて長沙灣道(Cheung Sha Wan)と名前を変えた少し先に、深水埗(Sham Shui Po)の街が広がっています。築数十年と思われる十階ぐらいの少し黒ずんだ住宅が寄って並んでいます。香港島の北側に広がる、四十階もあるような高層住宅は見当たりません。九龍半島の横に突き出た啓徳空港に進入する飛行機が、この街の真上を通っていたから、背の高い建物を作ることができなかったと聞きました。空港に着陸する寸前の飛行機は、この街の頭の上を通るとき、かん高い金属音を急に大きくしながら爆音に変えます。その瞬間、ビルの間の空にゆらりと姿を見せました。そして、不思議なほど急に音を消していきました。2回ぐらい息をつく時間だけ、音が聞こえていたことを覚えています。そんな音が落ちてくる街には、今とは少し違った感覚の日常の風景がありました。20年ほど前の話です。
深水埗は、小さなコンピューターの店が集まる黄金電脳商場が有名です。コンピューターに関係するものは、一通りそろえることができました。この電脳商場の入り口に、針金で作った円形のカゴに蛇を何匹もいれて、路上で商売をしているやせた男がいました。カゴの中には、一メートルを超えるだろう黒っぽい蛇が何匹も重なって入れられていました。ある日、その蛇男を見かけたので、ちょっとの時間立ち止まって遠目に見ていると、ふいに一人の小柄な初老の男が蛇男に近づいて、何か会話し始めました。蛇男はすぐにうなずき、カゴの中から蛇を左手で一匹つかみ上げると、地面においてある布袋から右手で大きい釣り針のようなものを取り出しました。それから、蛇の腹をぺこぺこと何度かつまんだ後、針を腹に刺してくるりと回しながら、ピーナッツよりも少し大きい黒っぽいものをぽろっと出ました。胆なんでしょう。そして、透明な液体が入っている真っ白な茶碗の縁にそれを引っかけます。小柄な男は茶碗を受け取ると、胆を指でプッとつぶしてちょいちょいとかき回し、くっと飲み干しました。あたりを見回すと、その場で生き胆の一気飲みを見学しているのは、私だけでした。
こんなこともありました。黄金商場の周りの道には、小販と言われる食べ物の移動式屋台が、いつもたくさん集まっていました。シューマイ、腐豆腐、イカげそ、ジュースなど。クレジットカードぐらいの大きさに切りそろえられた牛の胃袋は、ぐらぐら沸騰するオレンジ色のスープの中で浮き沈みしていました。このベビーカーを少し大きくしたような屋台は、無許可であると聞きました。この事実を知っているのかどうなのか、午後には制服を着た中高生が、この屋台で買い食いをしています。この無許可屋台の取り締まりのために、衛生局の役人が時々出ていました。そんな時、屋台は役人には見えない道で普通に商売しています。屋台の集団には見張り役が付いていて、役人の動きを仲間に伝えていました。役人が歩き出すと、見張り役は手を挙げて、頭の上のハエを追い払うような動作をします。屋台はそれに合わせて商場のまわりの道を移動し、常に役人とは商場をはさんで反対側で隠れて商売をできるようなポジションにいました。商場の周りの道を、役人と屋台がぐるぐる回っているような感じです。役人は走って屋台を追いかけることなく、立ち止まりまたゆっくりと歩いて移動していました。役人も無茶はやらないのだと、その時に感心しました。
一方、黄金商場の中では、パソコンソフトの違法コピーを、たくさん売っていました。ソフトをパソコンにインストールするためのパスワードも、ビニール袋に一緒に入っています。それは、ちぎったような紙片に手書きでした。もちろん、どのCDのパスワードも同じです。いつだったか、商場で買い込んだソフトがインストールできないので、交換してもらおうと買った店へ行ったら、その店がなくなっていたこともありました。また、商場のそばにござを敷いて店を出している人たちがいました。そこでは、昔あったマジックハンドに構造が似ているサイン偽造器を売っていました。こんな風にあやしさがしみ出す街だったからなのか、「深水埗なんかに行ってはいけませんよ」と、知り合いから忠告されたものでした。
はたして、20年経った今でも、やはりあやしさの断片がごみごみした街の中のすき間に存在し続けていました。窮屈な店先では、調理道具の展示販売の準備中で、販売員のおばさんが手元をいそがしく動かしながら、売り文句を確認している声が、足元の汚れた小さいスピーカーから聞こえてきます。その横には、明らかにサラリーマンではないだろう男たちが、なぜかバラバラの方向を見て立っています。その中の小柄な一人の男は、たばこをくわえ両手をポケットに入れて、駅の出口から流れる出る人たちに、比較的激しい視線を細めた目から飛ばしていました。地下道をねぐらにする物乞いがいます。そう言えば、地下鉄の駅の券売機に残っているお金を取ろうと、釣銭口の一つひとつに手を突っ込んで歩いている、背の低い中年男がいました。手に取ってみるまでもなく、まともにラジオ放送の音がでてこないことがすぐに判明する、黒く変色した携帯ラジオが、露店で売られています。老朽アパートの軒下の通路に入ると、遠くに「成人」というカンバンが垂れ下がっていて、風にゆらゆら揺れています。裏通りにある肉屋の前の道には、どろどろとした白い液体がたまっていて、腐臭をまき散らしていました。マンションの階上の部屋から飛び出ているクーラーから出る水が、屋根にはねて時々顔にかかります。上半身裸の日に焼けたおにいさんが、両肩に麻袋を重ねて運んでいます。軒下に出した丸い木の椅子に座っている小さなおばあさんは、置物のように動きません。
深水埗は、第二次大戦後の一時期中国からの移民によって不法占拠されていたということです。そのころの写真を見ると、粗末な小屋が寄せ集まっています。住んでいた人たちにとって生きていくためには、それこそ何でもありだったのでしょう。20年ほど前までは、そのころの気配が残っていたように感じました。今の香港では、いろいろなことが少しずつ、きちんとしてきているように感じています。きれいになってきたような気持がします。格好をつけているようにも見えます。蛇男も、違法屋台も、サイン偽造機も、今は見かけません。しかし、銅鑼湾(Causeway Bay)や中環(Central)といった場所には 、すでになくなってしまったにおいを、この深水埗という街の中では、まだ感じ取ることができるような気がしました。
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