旅をたどる
いつかどこかで記憶に残った場所に行きました。自分の目で見ないといけない、そんな風に思いました。
... すき間旅行者
12.シンガポールの著名なホーカー・センターを渡り歩く – シンガポール [NEW]
ホーカー・センター [途中略] は香港やマレーシア、シンガポール、リアウ諸島州などで、廉価な飲食店の屋台や店舗を集めた屋外複合施設である。Wikipedia
シンガポールのホーカー・センターは,おいしいものを食べさせてくれます。海南鶏飯,排骨肉骨茶,麻辣豆腐… 1肉2菜のぶっかけ飯は,この上ない一皿であることは間違ありません。
11.キリシタン大名 高山右近 – フィリピン メトロ・マニラ [NEW]
1614(慶長19)年には、高山右近ら 300 名あまりをマニラとマカオへ追放した。右近は家族とともにマニラに到着し、スペインのマニラ総督の歓迎を受けた...『詳説日本史』(山川出版社)
400年ほど前にマニラへ行ったキリシタン大名の高山右近は、銅像となって現在のマニラの町の中に存在しています。じっと前をみて、きりっと立っていました。
観音菩薩に近づいて見ると、首から足元まで垂れ下がった数珠の玉ひとつひとつに佛という文字が書いてあり、佛佛佛佛うるさい。 宮田珠己『東南アジア四次元日記』(幻冬舎文庫)
香港島の南にあるレパルス・ベイは、海水浴で有名ですが、その横に仏教公園がありました。ただし、仏様だけではなく神様も同居していて、独特な世界観があるように思えました。
パスパルトゥーは、ヴィクトリア港にいたった。… その中には軍艦、商船、シナや日本の貨物船、ジャンク、タンカー、はしけなどがあって… ヴェルヌ『八十日間世界一周』(角川文庫)
「一目千本」とは、奈良県吉野山の桜を見るのに絶好の場所をいうそうですが、いろいろな船の往来がある香港のビクトリア湾は、「一目千艘(ひとめせんそう)」状態でしょうか・・・
8.公認マーライオンは、いったい何体いらっしゃるのか? – シンガポール
シンガポールの観光名所セントーサ島にある巨大マーライオン像が年内にも解体されることになった。国内に7体あるマーライオン像の中で高さ37メートルと大きいため... JIJI.COM
シンガポールのマーライオンの1体が解体されるという記事を見ました。そして、少し前にマーライオンを追って、シンガポールの中を行ったり来たりしたことを思い出しました。
7.牛車水はSVOであるという事実 – シンガポール・チャイナタウン
現在でも中国語では地域一帯を「牛車水」と呼んでおり、地下鉄のチャイナタウン駅の英語名の下にもそのように表記されている。 田村慶子・本田智津絵『シンガポール謎解き散歩』(中経の文庫)
シンガポールに、チャイナタウンがあります。英語では "China Town" 、中国語では "牛車水" です。英語の表記と中国語の表記とに、まったく関連性が見いだせないような気がしますが...
「颶風がくる」と、かれは又叫んだ。天気晴朗の日でも品川の海には突然颶風を吹き起こすことがある。 岡本綺堂『半七捕物帳(三)』(光文社文庫)
JR品川駅とそばにある高層マンション群を見て、「東海道の品川宿なんて、とっくにないんじゃね?」と言うかもしれませんが、まだ江戸の昔にトリップできる場所があります。
5.青鬼の神様のおかげでした – 長野県北安曇野郡白馬村青鬼
その白馬岳の連峰を仰ぐ白馬村の盆地から少し北東へ入ったところに、青鬼(あおに)という小さな集落がある。 今尾恵介『ふらり珍地名の旅』(筑摩書房)
この村に来たときに、神様に助けていただきました。本当に助けていただきました。そんなことあるもんか、と言う方がいるかもしれませんが…
突然、人々の怒鳴り声をかき消すような轟音がとどろき、ビルとビルの隙間から飛行機の巨大な腹が現れた。 星野博美『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)
九龍半島の北にある深水埗には、少し前の香港のどこにでもあった不思議な空気が、まだ少しだけ残っているような気がします。
3.みぞれ降る香港の花屋通りのにおい – 中国香港特別行政区 花墟道
水曜どうでしょう 香港大観光旅行大第三夜 夢の花屋街で花に見とれる HTB 北海道テレビ(制作局)
水曜どうでしょうの香港編では、花屋街で花に見とれるとテロップが出ましたが、そのシーンの放送は数分程度でした。
2.ハウパーヴィラの超文化的共通原理 – シンガポール パシ・パンジャン道
それなのになぜこんなにおもしろいのか。いい加減なものがウンザリするほどあるからおもしろいのだ。 谷川晃一 ねじめ正一 編著『タイガーバームガーデン』(新潮文庫)
タイガーバームガーデンからハウパーヴィラになった庭園を訪れ、人としての道や自分を律することが大切なのだという気になったのだけれど。
1.バトパハ川の風にふかれれば – マレーシア ジョホール州 バトパハ
そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人クラブの三階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった。 金子 光晴『マレー蘭印紀行』(中公文庫)
1900年代の初めに、たくさんの日本人が住んでいた街バトパハには、日本人クラブがありました。そこにはまだ当時の空気が残っていたようなに感じました。
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