旅をたどる5
青鬼の神様のおかげでした – 長野県北安曇野郡白馬村青鬼
この村に来たときに、神様に助けていただきました。本当に助けていただきました。そんなことあるもんか、と言う方がいるかもしれませんが…
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旅をたどる5
その白馬岳の連峰を仰ぐ白馬村の盆地から少し北東へ入ったところに、青鬼(あおに)という小さな集落がある。
・・・ふらり珍地名の旅 今尾恵介著(筑摩書房)
急な上り坂を登り切り、両側から木立が消えて視界が開けるあたりが、青鬼の集落の入口になっています。入口の脇の駐車場に車を置いて、集落の中へ歩き出てみました。
青鬼集落にある家は、江戸末期から近代にかけて建てられて、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているそうです。今は鉄板葺きですが、もともとは茅葺きでした。また、ここにある棚田は、日本の棚田百選に認定されています。「たなだ」とは、何となしにいい響きですね。集落の北にある青鬼神社は、1200年ほど前の大同年間に建てられたと伝えられ、今の神社は明治中期に建造されたといいます。こういった基本的なことは、案内板が教えてくれました。まずは、その青鬼神社に向かいます。
ここのメインストリートなのでしょうか、車一台が通ることのできる幅の道が、角度の急な屋根の家の間を通っています。その後ろには、雲が少しかかっていますが青空が見えています。それにとても静かです。気が付くと、道の端に石像が立っていました。やさしいお顔の仏様で微笑んでいるように見えます。「天保」という文字が彫られていました。
国土地理院の地図で青鬼神社を見ると、等高線をいくつかまたぎながら長く延びる階段の参道があります。参道の入り口に立つと、階段は山にのまれていくように続いているのが見えました。奥へ進みます。足元の石段は段差がまちまちで、しかもきちんと地面と平行ではなくでこぼこしていて、かなり歩きにくい状況です。さらに、きれいな緑色をしたコケが多くの石段に張り付いていて滑りやすく、歩きにくい状況に手を貸していました。転ばぬよう用心しながらしめ縄が張られた鳥居をくぐって神聖な場所に進むと、木々の中にぽっかりと開いた薄暗い空間があって、そこには本殿、こま犬、常夜灯と神楽殿が配置されていました。飾り気がないけれども何か品位を備えている、これぞ日本の神社でした。常夜灯には、「文政四年」とも読める文字が刻まれています。人影はありません。音も聞こえてきません。心なしか、ひんやりとした空気がこの空間に凝集していると感じた瞬間、誰かがこちらを見ている気がしました。
神社から人里に降り、少し落ち着きを取り戻し歩いていると、棚田に行きつきました。今の季節ではすでに稲刈りが済んでいて、田んぼはがらんとしています。棚田を見下ろすような一段高いところに立つと、正面の遠くに黒い白馬連峰が広がっていました。細い雲が、尾根より下を沿うようにひょろひょろとからみついています。雪にはまだ早いようでした。田んぼのあぜ道にいらっしゃる石仏と、ふと目が合いました。微笑みながら合掌をしています。こうやって集落のいろいろな場所で、石像は人々を見守っているのでしょう。
集落には二か所の石仏群があって、さらに多くの神様と仏様がいらっしゃいます。庚申の塔もあって、青面金剛様が彫られています。また、神道のものなのでしょうか。烏帽子のようなものをかぶった像が彫られているものもあります。いずれの神様も仏様も、お顔は微笑んでいるようでした。
さて、よそ者があまり長居をしては集落の人たちにご迷惑なので、車に戻りましたが、おや? 車のキーが見当たりません。肩掛け袋の中にも、ズボンのポケットにも、胸のポケットにもありません。まあ、肩掛け袋の中でしょうねと思い、中身を全部出してみました。しかし、ありません。車には、しっかりと鍵がかかっています。車の周りにも落ちていません。本当に無くしてしまったようです。よろしくない状況です。この集落での立ち回り先は限られているので、おそらく見つかるでしょう。神様仏様、どうか見つかりますようにお願いいたします... 不思議にこのまま見つからないのだという不安感は、覚えませんでした。
まずは、青鬼神社です。参道の階段を一段ずつ上りながら、落ちていないか端から端までを確認します。参道の中ほどにある鳥居を過ぎても見つかりません。ただ、なぜだか見つかるような自信があります。さらに本殿に向かって上がっていくと、ある石段の隅でふわっと生えている緑色のコケの上に、キーがポンとありました。本当にそこに置いたようにありました。ああ、やっぱり見つかった。だけど、どんな事情でここに落としたのだろう。石段は滑りやすいので、ゆっくりと上り下りしました。たとえポケットにキーを入れていても、落とすはずはないのですが... その時、事情を飲み込みました。つまり、どこか他の場所で落としたキーを、誰かが私の行く先に置いてくれたのです。ポンと。神様か仏様なのか。がささと小さい音をたてて、横の草むらで何かが動きました。
少しほっとしつつ集落のメインストリートを駐車場に向かって歩いていると、今までとは別の石仏に目がいきました。口角がキュッと上がって優しい目をしています。そうでした。ここでは、いつでもどこでも神様や仏様に見守られているのでした。この地では何度か気配がありましたが、おそらくそこにいらっしゃったのです。そう言えば、「困った時の神頼み」「恐い時の仏頼み」といいます。今日は困っていたので、神様に助けていただきました。どうもありがとうございます。困ったときにまた、よろしくお願いします。仏様、恐い時には、どうぞよろしくお願いします。
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