色

旅にひたる12 [NEW]

ムアへ行くのなら,オタを食べてきたらいい… マレーシア ジョホール州 ムア

金子光晴さんの『マレー蘭印紀行』(中公文庫)には,「そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人クラブの三階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった。」とありました。この本を読んで,ムアはバトパハの次に気になっていた場所でした。

すき間旅行者のページ

》》

旅にひたる

》》

旅にひたる12

 少し前の話しです。

 シンガポールに滞在していたとき,シンガポールの知り合いに「仕事の休みの今度の土曜日に,マレーシアのムアへ行ってこようと思うんだけど」と言ったら,「ムア? 何しにそんなところへ行くの? じゃあ,オタを食べてきたらいい」 と反応がありました。オタですか? 彼の説明によると,魚のペーストを葉っぱでくるんで焼いたやつのようです。

三山茶餐廳のおいしい炒粿條

 ジョホールバルからムア(Muar)の町に着いたバスから降りると,いつものようにマレーシアの地方都市の証しでもある,開けた青空に点々と白い雲が散らばっている光景がありました。今は11月も下旬ではありますが,この半そで姿で問題ありません。さて,腹が減ってはなんとやら,ここまでのバスは途中渋滞に巻き込まれて1時間近く遅れて到着し,もう午後1時を過ぎていますので。軒廊をすり抜けながら食堂をちらちらと査定し,三山茶餐廳というところに決めました。店内が少々広め目で,壁に貼ってあるメニューはそこそこ充実していて,家族連れで来ている子供たちがもりもり食べていました。経験的理解から,この手の食堂を選ぶ時には,子供が食べているのかが一つの大切な指標になります。そこで,炒粿條をいただきました。河(ホー)という米粉から作った細めひもかわうどんのような麺に,卵,ニラ,もやし,かまぼこ,豚肉と臘腸(ラプチョン)の薄切りが入って,醤油とオイスターソースでしょうか,これを合わせて一気に強火で炒め混ぜあげる。ああ,香ばしい風味とコクのあるうまみがあって,これはうまし。180円ほど支払って店を出ました。

 ムア川を望むところへ来ます。ここらあたりは河口付近に位置するので,水の流れは穏やかで,対岸までの距離は相当ありそうです。少し遠くに,青色の系統にそまった大きなモスクが見えます。金子光晴さんの言うバトパハからの渡し船は,このあたりに着いたのでしょうか。90年ほど前の話しになります。足元のあたりで,ぽちゃんと何かが水の中に落ちた音がしました。

ムアのオタ

 オタを食さねばなりません。さて,どこで売っているのでしょう。路地をあちこち歩いていると,屋台の少し集まった道路がありました。Jalan Haji Abu と標識があるので,Haji Abu 通りのようです。屋台を確認しながら進むと,それらしきものがありました。赤いTシャツを着たおじさんが,焼き鳥を焼くときに使う横に長いコンロで,ざっと並べたスティック状の葉っぱのようなものを,表裏とクルクルひっくり返しながら焼いています。オタに間違いないでしょう。おじさんから,ひとつ調達し,約18円なり。竹の皮のように少し厚い葉を開くと,少々赤身がかったすり身に火を入れたようなものがありました。食します。かんでいると,魚の寄せ集めのような味がして,確かに魚のすり身でしょう。ピリ辛で,ビールに合いそうですね。これはこれでうまい。屋台の横でオタを味わっていると,オタを手際よく返しながらおじさんが英語で聞いてきました。「どこから来たんだ?」 海外でこう聞かれた時は,たいてい香港から来たということにしています。「香港から来た」 するとおじさんは広東語で 「ならば,広東語で話せばいいのに」と言いました。私はすかさず 「香港人だ」 と稚拙な広東語でこう言えば,おじさんは 「香港のどこに住んでいる?」 と切り返し,私は 「香港島の北角だ」 と答えました。おじさんはじっと私の顔を見て,それから両手でひざをパンと一つたたき英語に変えて 「お前は香港人じゃないな。どこから来た」 と再び。ばれてしまったので 「日本から来た」 というと,おじさんは私の肩をポンとたたき 「うんうん」 とうなずいて,足元にあるダンボール箱からポスターのように丸まった筒状の紙を一本くれました。するすると開いてみるとそれは翌年のカレンダーで,タイトルのように “麻坡貧食街小販聯誼會” と大きく書いてありました。ありがとう,おじさん。

ムアの街の建物 built in 1928

 街のなかをぐるっと見て回ります。ここムアも他のマレーシアの地方都市と同じ雰囲気です。南海飛来というお寺には,手がたくさんある観音様でしょうか,がいらっしゃいます。繁体字がそこここに見えます。停車している自転車タクシーのおじいさんが,こちらをガン見しています。たいがいは高くても三階だての黄色,青やピンク色の建物の上部には,それが建てられた年が 1937,1921,1917… と刻まれています。廣東会館があります。どこかのスピーカーから,コーランが聞こえてきます。軒下でべったりと座っているブチ猫と目が合います。見上げると黒雲が出ていて,遠くから雷鳴がコロコロとやってきました。やっぱりここの場所も蒸し暑く,細胞レベルで干からびてきた感があったので,聯和茶室のおいしいアイスコーヒーを一気にいただきました。

ムアのバスターミナル

 さて,オタはいただいたし,おじさんからカレンダーもゲットし,街の雰囲気もあらかたわかったので,戻ることにします。ジョホールバルのターミナル行きのバスはムアを定刻通り 17:15 に出発しました。その後,バスを乗り継ぎ国境も越え,シンガポールのクラーク・キーにあるホテルには,翌日の午前 1:00 過ぎに帰着しました。そして,シャワーでギトギト汗を流してさっぱりした 8 時間は飲み食いしていない体の末端へ,冷蔵庫で冷やしておいたタイガー・ビール 500ml のアルコール分が,ぴりぴりと浸透していきました。

》》 旅にひたる


Copyright © 2022 すき間旅行者 All Rights Reserved